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1.「鍼灸なんて無理だ」と同業者に言われても、僕が本物の東洋医学にこだわり続ける理由
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「将来、何になりたい?」 高校生の頃の僕は、そう聞かれても胸を張って答えられるものがありませんでした。 出身が岐阜なので、「和紙職人の世界もいいな」と漠然と考えたこともありましたが、高卒でいきなり入門して本当にやっていけるのか、不安で仕方がなかったのです。 自分の将来を開くヒントを探しに、毎日のように図書館へ通いました。そこで偶然手にした1冊の書籍。それが「鍼灸師」という職業との出会いでした。 「手一つで極める職人になれる。これだ!」と、目の前がパッと明るくなったのを今でも覚えています。 しかし、本当の衝撃は、専門学校に入ってからでした。 それまでの僕は、病気になったら病院へ行き、検査を受けて薬を飲むのが当たり前だと思っていました。 ところが、東洋医学の「脈を診て、舌を診て、問診をとって、全身のバランスを整えて根本から治す」という独自の考え方に、鳥肌が立つほどの衝撃を受けたのです。 「これはもの凄く奥が深い。この技術をマスターできれば、現代医療で治らなくて困っている患者さんを救える。どんな環境でも、鍼と艾(もぐさ)さえあれば、目の前の人の役に立てる本物の職人になれる!」 と感じました。 そこから、本物の技術を求めて中国へ留学しました。 しかし、待っていたのは想像以上の苦労でした。 まずぶつかったのが、言葉(方言)の壁です。日本人にとっての東北弁のように、先生たちが何を言っているのか本当に分からない。その孤独と戦いながら、さらに大きな壁となったのが「脈診(みゃくしん)」の習得でした。 東洋医学の本場でも、本当に脈診を重視しているのは全体の1割の先生だけ。それほど難しく、最低でも1年はかかると言われた伝統技です。 指先の感覚が掴めず、非常に辛い思いもしましたが、「これができなければ患者さんの辛い症状を解決できない」と必死に奮起しました。 1年間、師匠の厳しい指導を受け続け、ついに「基礎的な脈診はOKだ」と言われた時は、肩の荷が下りて本当にホッとしました。 ですが、本当の試練は日本に戻って就職してからでした。 学問として難しいものは、臨床で効果を出すのはさらに難しい。当時の治療院は、マッサージ・整体をメインにし、鍼灸は患部に「ちょこっと」というところがほとんどでした。 僕のように「東洋医学の鍼灸単独で治したい」と言う人間は、同業者から「鍼灸だけなんて絶対に無理だ」と言われるのが実情だったのです。 「どうしてこんな資格をとってしまったんだろう」と、自分の無力さ感じる時もありました。 でも、僕の指先には、あの厳しい留学時代に命懸けで身につけた師匠直伝の『脈診』がある。この技術は、どこに行っても治らずに絶望している患者様のためにあるはずだ。その信念だけで、僕は独立開業を決めました。 |
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2.「開業当初の地獄」を救ってくれたのは、どこに行っても治らずに苦しんでいた患者様の存在でした
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実際に開業してみると当初は地獄そのものでした。 「鍼灸単独では不可能」という周囲の言葉が、冷酷な現実となってのしかかってきました。 それでも、僕は絶対に諦めませんでした。僕の考え方に理解を示してくれる辛い症状をもつ患者様がいたからです。 世間の流行に流されず、中医師の師匠から教わった「脈診」と「病理を紐解く問診」という基礎を、1人もらさずコツコツとおろそかにせず繰り返しました。 指先に全神経を集中させて施術を繰り返した結果、ようやく、昔の自分なら改善することができなかった難しい症状が、次々と改善できるようになっていったのです。 |
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3.可能性が1%でもある限り。あなたの「にこにこな毎日」を取り戻すための僕の覚悟
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僕のビジョンは、「鍼灸で患者様をにこにこ笑顔に過ごせるようにする」ことです。 病院で「年齢のせいだから」「原因不明だから」と見放され、笑顔を失ってしまったアトピーの症状や不妊、難治性の不調。 とても辛い思いをしている患者様を救うことは、僕自身にも、もの凄く大きなプレッせるがかかります。(※もちろん、不適応な疑いのある疾患はまずは病院で診察を受けてから。) ですが、可能性が1%でもある限り、僕は鍼(職人)医者として、自分の技術のすべてを懸けてその施術に挑戦します。 なぜなら、辛く眉間にしわがよっていた患者様が、施術を終えて「先生、楽になったよ」と、にこにこした笑顔に変わる瞬間。 それを見ることこそが、僕が大変だった日々をくぐり抜けてでも、鍼灸師であり続ける唯一の理由だからです。 名古屋市守山区の頼れる健康パートナーとして、あなたの「にこにこな毎日」を取り戻すために、僕は今日も指先に全神経を集中させてお待ちしています。辛いあなた、まずはお問い合わせからでOKですよ。 |